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イントロダクション
第1回 貝塚市立自然遊学館
第2回 エドモント・テーラー記念博物館
第3回 ミイラ猫の博物館
第4回 カルバーシティ歴史博物館
第5回 百年後の博物館
第6回 餃子ミュージアム

オブジェ
第5話 百年後の博物館
5−1 砂事件に関して、僕は一切口外することはなかった。

砂事件に関して、僕は一切口外することはなかった。恋人にも友人にも、警察にも知人の新聞記者にも、コーコさんにも、僕の子供を育てる女にも言わなかった。秘密というには大袈裟だが、僕はそれを秘密として、こっそりと机の引き出しにしまった。ほんの一握りの砂だけビニール袋に入れ。そうすることによって、貝塚から始まった2007年の奇妙な一連の出来事は終着点を迎えたと考えるようにした。今度こそおしまいだ。箱の蓋は閉めた。もう2度とあけない。これ以上何も起こらない。

しかしそれにしても、と思う。大量の砂を浴槽においていくなんてあまりにもひどい。日が経つごとにだんだんむかっぱらがたってきた。風呂に入っても体のどこかに常にざらっとした感触が走り、いちいちシャワーを使って落とさなくてはいけない。いろんな嫌がらせを受けてきた人生だったがここまでのものはない。犯人が誰か知らないが、仕返しすることができるなら、風呂場に大量のナメクジでも放してやろうかと思う。しかしそれだけ大量のナメクジを用意しなくてはいけないのは自分であることに気づき、仕返しは考えないようにした。

それから2008年がやってきて、三日目のことだ。僕は正月を福井の実家で過ごし、たらふくご馳走をいただき、手みやげまで持たされて大阪のマンションに帰宅した。パソコン机の上にまたもや砂があった。今度はメッセージらしきものだった。

FLAGILE

と砂の文字で描かれていた。引き出しにしまったはずのビニール袋が床に落ちていた。なるほど、と心の中でつぶやく。なにが、なるほどなのかはさっぱり見当がついていないが、とにかく、なるほど、と思った。ハードボイルドを気取ったのかもしれない。なにが、なるほどなのかを考える。
ひとつ、なるほど、終わってないってことだ。
ふたつ、なるほど、どうやらこの砂は生きてるってことだ。

誰かが部屋に再び忍び込んで引き出しの砂を出して、メッセージを書いたとは考えづらかった。砂は、自発的な意志で、引き出しから抜け出し、FLAGILEという文字を描いたのだ。
突拍子もない発想だが、そう思うのが自然な気がした。たとえば、止まっていたはずの時計が突然動き出したり、なくしたと思っていた手帳がある日ぽんと机の上に置いてあったり、そういうことはママある。それをいちいち怪奇現象だとは騒がない。そういうものとして、この砂が机の上に現れたことも受け入れた。
今になってみれば、死んだ時計が生き返ることや失った手帳が出現したこととは全然種類が違うことはわかる。なんせ勝手に砂が字を書いたのだ。しかしそのときはそう感じた。これは、起こるべくして起こったのだと。僕が受け入れないことには、なにも始まらないのだと。吉沢さんの弟が博物館で失踪したことも、吉沢さんが謎のミイラ崇拝の宗教団体に取り込まれたことも、そして砂が現れたことも、すべては因果で結ばれているはずだ。それはエドモント・テーラーの家族に起こった何かと深く繋がっているのかもしれない。もしくは、僕自身の何かと。蓋を閉めても、それらは進行することを止めない。そのことは、僕に地震を想起させた。地下のどこかで脈々とつながったプレートがゆっくりと隆起している様に似ている。僕はそれを見ない。しかし、それはそこで実際に起こっている。ほっといてもいつかは地表を揺るがすのだ。


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