indexロゴ百年後の博物館ロゴ
小説版「百年後の博物館」ロゴ


それはこんな会話だ。黒田さんが聞き手で僕は答える。
「あの猿はどうなるの?」
「わかりません」
「前言ってた、錆び男ってのはいつ登場するの」
「いやあ、このままだと出てこないかもです」
「舞台は新宿から別の場所にそろそろ動いた方がいいんじゃない」
「そうですね」
「・・・」
「・・・」
不甲斐ない返答である。これには訳がある。
連載小説「百年後の博物館」は、ラスト一つ手前に来て、発情期の競走馬のようにまったく前に進まなくなってしまっていたのだ。それどころか、さんざん道に迷ってもとの場所に出てきてしまったような有様だった。いったいどうしてくれるのだ、と少ない読者も怒ってることだろう。
そのことは僕自身がよく知ってるし、黒田さんも気づいている。
今日はめでたい日だ、これ以上は悲しいニュースには触れないでおこう、という空気が流れ、僕たちは別れた。
僕はロビーに出た。受付の前では星川さんと音楽を作ったSIBERIAN NEWSPAPERの阿守さんがローマ帝国の衰退とその原因について会話をしていた。僕はローマ帝国の気分ではなかったので、煙草を吸いにひとり灰皿の前を陣取り、来場者をしらみつぶしに眺めた。その中に吉沢さんの姿を探していたのだ。あの地方議員みたいなキュレーターがチラシを渡してくれていることを祈った。そして吉沢さんが貝塚から梅田に出てくることを億劫がることがないことを。もちろん、今日来るとは限らない。しかし虫の知らせと言うか、都合のいいことが起こる予感がしていたのだ。なんせこれは小説なのだし、都合のいいことが起こってもいいはずじゃないか。

これは小説?

いや、これはまだ小説ではない。僕の身に実際起こったことだ。「百年後の博物館」は猿と行方不明の少年の話だ。僕は混乱している。吉沢さんの弟の話を描いてみようと思ったのだが、まったくヘンテコリンな物語になってしまった。これは言い訳をすれば、この半年、実際に僕の身の回りに起こったことの方が圧倒的に小説的なせいだ。僕は物語に逃げ込みながら、現実との反故に苦しんだ。そして今立っている場所がどこかわからなくなってしまっていた。まるでアリスの迷宮だな。しかしそれは言い訳だ。
喫煙場所からロビーの対角にある受付で一人の女性が星川さんと喋っているのが見える。星川さんは僕の方を指差した。それから女性がゆっくりとこっちに向かってくる。星川さんは再び阿守さんと話し始める。最初、その女性が吉沢さんかと思って期待したが、似ても似つかないおばちゃんだった。といっても僕もおっさんだから、同じ年齢くらいだろう。女性は旅行用のキャリーバックを引きずり、一目で高級そうなコートにデニムのパンツ、それにパンプスを履いている。僕の住む世界にはあまりいないタイプの女性だ。確実に彼女は僕の方にやってくる。いったい誰なんだろう。
彼女と僕は、目が合う。僕は記憶のアルバムをたぐるが、思い当たる人物はヒットしない。一昔前の香港映画風に言えば「あと3歩で、彼女と僕の距離は0.1mm」。誰か仕事関係の人だろうか。それとも。
彼女は「キノシタさんですか?」と尋ねた。
僕は「はい」と答えた。
彼女はそれからこう言った。「あなたの書いてる小説の内容のことでお伺いしたいことがあります」


←前のページへ │ ↑このページのTOPへ │ 次のページへ→
indexロゴ百年後の博物館ロゴ