

2月になり、HEP HALLで行われている「百年後の博物館」のオープニングに出かけた。赤い観覧車が目印の、商業施設の8階にHEP HALLはある。エレベーターはシースルーで、ぐんぐんと繁華街が足下に広がっていく。エレベーターの中には僕を含めて7人の男女がいるが、外を眺めているのは僕と小学生の女の子だけだ。どうしてみんな外を見ないのだろう?
眼下は、いわゆる本城直季風のミニチュア写真をようになっている。人々はジオラマの中の小さな人形のようだ。僕はその人形の一体を無作為にピックアップし、頭をつまんで、そこからひょいと持ち上げる。脳みそのなかでそういう空想をする。するとその人物は世界からぽんと消えてしまう。趣味の悪い神様ゲームだ。しかしそうやってこの世界からひとりの人間が消えたところで、そのミニチュアを形作る全体はなにひとつ変化しない。よっぽど阪急百貨店が消えた方が、僕らの心象風景は動揺する。そう思うと、僕の住む世界の主人公は、人間ではなく建築物なんだなあとつくづく思う。
展覧会「百年後の博物館」も、人間以外のものが、鉄や石や木や紙や貝殻やタイプライターや時計やらが主人公だった。あるものは箱に閉じ込められ、あるものは椅子に縛られ、あるものは額縁にはめられていた。どこかからやってきた廃校の教室のような空間に、それらのものがずらりと展示されていた。同時に保存され、研究されているようにも見える。それが「百年後の博物館」というタイトルの真意なのかどうかは知らない。仮にここを博物館とした場合、ひとつだけ特殊なことがある。どの展示物も錆びていることだ。博物館の歴史は、保存の歴史であり、酸化との闘争である。いかにして酸素に触れさせずに風化を避けるか。それで言えば、ここは世界で唯一、酸素に打ち負かされた希少な博物館といえる。
今なんとなく酸素のことを考えたくなったので、勢いで書くけど、博物館のみならず、人間も酸化との戦いだ。老化もひとつの酸化現象に過ぎないという考えがある。病気もそうだ。すると、酸素というのは、人の命を奪うものということになるけれど、当然、酸素がなければ人は(すべての生物は)死んでしまう。
その矛盾について、酸素はどう思ってるのだろう?
まあ別にどうも思っていないだろう。もちろん矛盾だとも思ってないだろう。酸素は酸素としてそこに存在し、酸素たる仕事をしているだけだ。
展示品のひとつに[sandscape ko・to・no・ha]というタイトルの作品があった。碁盤目の大きな机に、アルファベットの駒が散らばっている。それらを好きなように並べて単語を作るゲームだ。「スクラブル」という洋物のゲームをモチーフにしたらしい。
クロスワードパズルの答えだけを作るような遊びだ。
真ん中に縦のラインでFRAGMENTと並べてある。横のラインは5番目のMにつなげてIMPUREとある。僕も暇つぶしに続きを作ってみることにする。FRAGMENTのFにFRAGILEと続けてみる。すると大きなFの字になった。
それからFRAGILEのアナグラムを作ってみることにする。もしかしたら、なにか新しい発見があるかもしれない。F、R、A、G、I、L、Eの7つの駒を適当に順番を変えてみる。1時間近くトライして、いくつかの文字が出来上がった。
RAG LIFE(ぼろの生活)
LIE FRAG(嘘の旗)
REG FAIL(登録された失敗)
REAL FIG(本当の数字)
LEAR FIG(リア王の衣装)
FEG RAIL(FEG鉄道)
FAIL REG(地域に失敗する)
リア王の衣装あたりから、ぐだぐだである。砂のメッセージは、これらのなかにあるのだろうか。もしくはまだ見つかってない組み合わせがあるのだろうか。他に見過ごしてる単語はないだろうかと、うんうん唸っていると、個展の主・黒田さんがやってきた。ディスニーアニメに出てくる熊にそっくりな人だ。僕は展覧会の感想を不器用に伝え、それからいくつかの仕事の話と遊びの話を同時にして、それから少しだけ僕の小説についての話をした。

