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オブジェ
3−2 黒い犬のバスは二百年前のピルグリムとは逆の進路を辿った。

黒い犬のバスは二百年前のピルグリムとは逆の進路を辿った。
東へ伸びる銀色の舗装道路は、茶色い荒野をきっちりと2つに分断し、右側の風景と左側の風景を鏡のように映している。
ところどころに灌木が生えている。
無人のガソリンスタンドが通り過ぎる。
前にも後ろにも車は走っていない。信号もない。
時たま、ROUTE15と書かれた看板と、行き先を教える案内板が現れる。
たくさんの回転草が風に吹かれてころころ転がっている。彼らもまたどこかへと旅をしているようだ。
車窓の風景からは時間の経過は読み取れない。
遠くに見えるなだらかな岩山の稜線には、永久に近づけないんじゃないかと錯覚する。

少年の頭の中には音楽がずっと鳴っている。
いったいこの音楽はいつからどこからやってきたのだろう。実際に今そこで鳴っているのか、たとえばバスの運転手が気を紛らわせるためにラジオを点けたのか、それともぼんやりと眺めてる風景の中から自然と立ち現れたのか、少年にはわからなかった。おそらく、昔、どこかで聴いたのだろう。それが頭の中で鳴っているのだ。そう考えるのが妥当なような気がした。
しかしその音楽をいったいいつ聴いたのか、それがどういう状況だったのか、そんなことは思い出せない。一生懸命、耳を、神経を、意識を、音に集中しようとするが、捕まえようとした瞬間から、するすると音は逃げていく。足跡を残さない小狡かしいイタチのように。それでもなおしつこく音符に耳を澄ませる。しかし川の流れの一点を見つめても、大河の全幅はわからない。そこには瞬間的に光る水の煌めきしか存在しない。もしくは風の正体を捕まえようと手を差し出しても、それが吹いていることは肌の感触でわかるが、風の形を把握することは不可能だ。そもそも形なんてないのだから。あるのはただ瞬間の連なりだけだ。現れたそばから消えていく不確かで刹那的な現象。
音楽とか思い出とか風とか、そういうものは箱に封じ込めて眺めることはできない。
回転草になって、そいつと一緒に転がっていくしか他ない。
そのことに少年はいらいらする。少年は理解したいのだ、色んなことを。
白い服を着た男の言葉(を理解できる言葉に代えてくれた赤い靴の女の言葉)を思い出す。


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