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小説版「百年後の博物館」ロゴ


「彼の記憶構造はとても特殊なんです。出来事のポイントは覚えてるのですが、そのポイントをつなげて線にすることができないのです。つまり頭の中に想い出の写真は収められているのに、それを自由に引き出すことができない。繋がりとして見ることもできない。ときたまフラッシュバック、つまりランダムなスライドショーが始まり、より混乱をきたします。これは記憶に問題があるというよりも、感覚知の方に・・・」
少年の頭には、女の赤い靴が巨大化して映し出される。なんとか音楽に逃げようとするが、頭の中で一音一音が爆発し、メロディを発見することもできない。音楽を聴くことがこれほどまでに難しい作業だったなんて、と自分の脳のトラブルを呪う。
少年はこの無期限停止のような記憶喪失状態にずっと苛まれている。少年は耳を塞ぐ。それでも音楽は鳴り止まない。おちんちんをいくら触っても、落ち着かない。いったい僕はどこからきてどこへ向かっているのか。
結局のところ、自分自身は何者でもない、という空虚感。「タカハシヨウタ」と書かれた身分証明書を見ても、そこには実感はない。与えられた名前と、差し出された状況を、鵜呑みにして何かを推理したところで、そんなものは偽物なのだ。本当の自分はここにはいなくて、どこか別のところで眠っていると考えた方が幾分も安穏だ。実際に、僕は部屋のベッドでまだ寝ているのかもしれない。サビ男も地平線も黒い犬のバスも、すべて頭の中で拵えた幻なのだ。そう、今流れている音楽のように。それ自体は、形のないものなのだ。なら固執するのは止めにしよう。過ぎ去るがままでいいじゃないか、そう思ったりする。そう、あの自由闊達な回転草のように。
しかしそれはとても困難な作業だ。すぐに自己の意識が不敵な悪魔のように現れて、余計なことを考えさせる。自分は誰なのか。なぜバスに乗っているのか。本物の父さんに会わなくてはいけない理由は何なのか。生きる理由。そんなこと考えたくないのに。そんなもの必要ないのに。
頭の中が痙攣を起こす。
また始まった、と少年は思う。頭は勝手に記憶の写真をパラパラめくりだす。肺の中に空気が次々と押し込まれてきて、呼吸ができなくなる。バスの中は、エアコンのせいで蒸し暑い。1秒前に考えたことが、もう思い出せない。少年は苛つく。ああ、こうしてまた僕は何もかも忘れていくのだ。それって生きてるって言えるのだろうか。車体の振動が胃の中のものを吐き出させようと粘り強く下腹部を蹴り続ける。
しかし、朝から何も食べていないことを思い出す。出るものは何もない。少年は空っぽの箱なのだ。そこにはいまだに何も収められていない。いつかこの箱の中に、すっぽりと収まるものが現れるのだろうか。不安になる。恐怖と言ってもいい。少年は誰に気づかれるともなく、バスの最前列で、獏とした静かな混乱を繰り返す。残念なことに涙も流れない。サビ男は僕のこの危機的状況を知ってるのだろうか。

流れる風景はこんなにも美しいのに、僕にはそれをいつまでも覚えることができない。


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