のちのち発覚したのだが、星川さんは貝塚出身で、
実家は「たこぼうずもなか」屋だそうです。すごい偶然。
糸井重里のほぼ日刊イトイ新聞が販売してる手帳。
中毒性のある不思議な手帳。
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三ノ宮にいたので、そのまま神戸市立博物館によった。
NHKの吉池さんに招待券をもらってたのを思い出した。
「インカ・マヤ・アステカ展」
そこには噂のミイラがたくさんいた。最初からここに取材に来てたらよかったのだ。見事に博物館らしい博物館だ。なんでエドモント・テーラー記念博物館なんて妙なところに行ってしまったんだろう。「百年後の博物館」はまだ1ページも書けていない。
無数のミイラを見ながら、お前らには悩みがなさそうでいいなあと思った。もちろん気持ち悪いんだけど、よく見るとそれぞれ愛嬌がある。簡単なレフトフライをうっかり捕り損ねた瞬間に死んだ外野手のようなミイラや、死んでまっせぼちぼちでんなーみたいな漫才師のような親子、「この問題はわからん」と悩んだまま死んだ哲学者風ミイラ。いろいろな死に様がそこにはある。そして不思議と死体であることを忘れる

ミイラ面白いな。

これ、でも、どこかで見たぞ。あ、うんこ猫だ、サビ猫だ。あいつの色と一緒だ。そっか、人間も錆びるとこんな色になるのか。ん? 人間も錆びるのか? そりゃあ肉体には鉄分も含まれてるだろうから錆びるか。

サビ男。

突然、そんなフレーズが浮かんだ。うん、これで小説を書いてみよう。死んでから百年間、それでも生きている男の話。歩く博物館だ。サビ男は、錆びた体を抱えて荒野を歩く。頭に映像が出現した。それで? どこに行く?

僕はすぐに家に帰って、パソコンの電源をいれた。
それから2週間かけて、「百年後の博物館」を6話分書いて、メールで星川さんに送った。書き終わった後に、これで本当にあってるのだろうか、と自問した。小説に正しいも正しくもないのはわかってるけど、それでも頭から追い払うことはできなかった。僕は正しい言葉で正しい物語を書いたのだろうか。誰かを無意味に傷つけてるだけではないだろうか。しかし送ったメールはなかったことにはできない。
頭から吉沢さんのことが離れなかった。僕はもう一度あの庭に行くべきなのかもしれない。僕は「ほぼ日手帳」の次の火曜日に「貝塚」と記し、その他の仕事を終わらし、パソコンの電源を切り、部屋中のすべてのコンセントを抜き、ベッドに潜り込んだ。僕は集中して寝るとき、そうしないと気が済まないのだ。
もちろん時計は無音針しか飾っていない。


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