そして下手な関西弁になる
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次に僕はMという女性に電話した。10年以上前、僕がまだ大学生だった頃、Mとは2年間だけつきあって別れた。別れた直後、彼女のお腹に僕の子供がいることが判明した。もちろん僕は断固反対したが、彼女は一歩も譲らなかった。彼女の意思は石のように固く、巨木のように揺るがなかった。出産後、僕は子供には一度も会ってない。認知もしてないし、養育費も請求されてないし、相続権も放棄してくれた。僕の葬式にももちろん訪れないだろう。実は子供が男なのか女なのかも知らない。名前すら知らない。Mとは今でも時たま連絡を取り合う。そういう経緯とは(おそらく)関係ないところで、Mと僕の間には未だに奇妙な親近感もしくは愛情が存在する。まあ、往々にして僕が今回のように困ったときに連絡することの方が多いのだけど。正直にいえば、お互いのスイッチが同時に入ったときは今でもホテルに行ったりする。そういう関係を世の中的になんていうのかは薄々知ってるが、ここでは最低限の情報だけにとどめておく。
とにかく彼女とのことを書き出すと、紙幅の限りがなくなるし、またひとつ別の小説が書けてしまう。ここであなたは倫理的なことを話題に出したいかもしれないが、今はすいません、とにかく話を進めさせてください。いろいろ僕も複雑なのですよ。あなたの複雑さとは幾分種類は違うかもしれないけど。
とにかくそういう僕の子供を育てる性的関係のある女友達に電話する。
「日曜日に会いましょう」ということになる。

大阪ミナミは人で溢れていた。指定された喫茶店は全面ガラス張りで動物園の爬虫類館に入れられている気分になる。悔しいので、こちらから先に通行人をじろじろ眺めてやる。男子も女子もオッサレな服や小物を身につけ、長い足をこれ見よがしに披露している。風が吹くたびに銀杏が舞い散り、彼女たち(彼たち)は金色の降らせものに包まれる。背筋は自信満々に伸びている。そして無性にケチを付けたくなる。
モデルか、お前たちは。なにをそんなにいきがって心斎橋筋商店街を歩かなあかんのや。携帯電話をシャッと開けて電話に出るお前が立っているそこは100円ショップの前やぞ。ソフトバンクのCMに出てる気でもおるんか。あほかぼけ。
だめだ。こういう場所に来るとどうも根性が悪くなる。居心地も悪い。意味不明なアウェイ気分にさせられる。ああ早く来ないかな。

1時間遅れでMはやってきた。
黒のニットワンピースに、熊も一撃で殺せそうな鋭いハイヒール。相変わらず美しかったが、一児の未婚の母であることを忘れてはいけない。それが僕の子供であることも忘れてはいけない。
「で、なに?」とM。
前置きなし。かくかくしかじか。僕は一通り説明した。
「誘拐もしくは拉致された、て考えるのが筋が通ってるわよね」とパフェにのった黄金桃を豪快に口に運びながらMは訊いてきた。
「その線ももちろん動いた。貝塚警察と大阪府警は、こういう神懸かり的な事件には熱心ではないみたい。もっと現実的なものが好きなんだよ。点数でつけれるような事件じゃないからね、これは」
僕の権力批判には興味はないといった様子で「1年にどのくらいの人が行方不明になってるか知ってる?」
「さあ、1000人くらい」
「約10万人よ。国内だけで。1時間に約9人、人が消えている。警察に捜索願を出していない人もいるからカウントはまだあがる。この数だけ見れば、普通な気がしない」
「普通な気?」どういう意味だ。僕は少しだけイラっとした。それはあんたが当事者になってないから言えるんだ、と思った瞬間、僕がまさにずっとそうだったことを思い出した。
Mは次の質問にうつった。
「ねえどうしてその女性は弟がいまもどこかで生きてるって考えてるの。その根拠はなに?」
「んー、直感なんじゃないの。女性ってそういうのあるじゃん」
「女性は直感の生き物って誰が決めたの。本当になにも進歩してないわね。そういう方面」
「すいません」謝るしかない。
「直感を信じてる女性なんて滅多にいないわよ。女性はいくつもの根拠があって、その根拠を確信にする時にほんの少しだけ直感を働かせるの。男の方こそ、直感だけですぐ動く」
「根拠ねえ。なんだろう。あ、そういえば、1年後の失踪した日に、無言電話があったらしい」
「ほお」
「彼女は、弟が電話口にいるような気がしたって」
「薄い根拠ね。薄いと言えば、あなた少し禿げた?」
なぜ、いま、その話題。
「禿げてないと思うけど」気にしてることを。
僕は話題を変えた。「それと彼女はね、事件のあとに、なんとかっていう宗教に入信したんだって。名前は、たしか『野鳥の会』みたいな」
あとで思い出すのだが、それは『弥勒の会』だった。全然違った。
「そっちの方面はよくわかんないけど、取り込まれてないといいわね」
「あ、今思ったんだけど、宗教の勧誘だったのかな」
「私の結論は、彼女は、あなたになんとかしてほしいと思ってる。どうしてあなたを選んだのかはさっぱり解らないけど。それにその人はまだ隠してることがあると思う。生きてるって確信するだけの何かを」
ホテル行く?と訪ねられたが穏便に断った。僕はスイッチが入ってなかった。


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