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そこで、気配を感じた。真横に赤い男の顔があった。男は後部座席から身を乗り出して少年をじっと見ていた。いつの間にか古くて錆びた丸い眼鏡をかけている。そのせいかほんの少し年寄りに見えた。手に持った鱒のかたちをしたペーパーウェイトを少年に差し出す。それは少年のものだった。そして理解不能な言葉を早口で言って、鱒の石を少年に押し付けた。少年はそれを受け取ると、赤い男は自分の席に戻った。言葉が通じないことに少し苛立っているようだ。少年は驚いたまま、しばらく呆然としていたが、とにかくそれをリュックに仕舞った。

それから少年は何かを思い出し、リュックの中から図鑑を取り出した。そしてページを必死でめくり、ついに赤い男の正体を知る。そこには赤い男とうりふたつの写真が載っていた。赤い肌、落ち込んだ目、かぎ鼻、頑丈そうな頬。間違いなく、その写真は赤い男だ。ただし、服装は随分と違って、派手なものだったが。そこにはこう説明が書かれていた。

「インディアン・・アメリカ先住民の大半を占める主要グループ」

図鑑は急に石のように重たくなった。少年は音を立てないように閉じ、見てはいけない秘密を覗いた気分になる。インディアンという言葉の響きが、とても恐ろしいものに思えたし、それが自分のリュックサックを盗んだ男だとなると、ますます身が縮まった。それに、図鑑の中では、赤い男は三つ編みをしてバンダナを巻き、鳥の羽根を頭にさしていた。手には石製の武器まで持っている。

サビ男の声が耳元で聞こえる。エアコンの風の音に混じってひどく聞き取りづらい。
「どうしても怖いのなら、やめることはできる。まだバスは動き出してもいない。それに父親はグランドキャニオンでお前が来るのを待っているわけではない。父親は、おそらくお前を拒絶するだろう。そして、きっと知りたくもないことを知らなくちゃいけない。したくないことをしなくちゃいけない」
「もう少し大きな声で喋って」と少年は懇願する。
「インディアンの男が、お前にとって危険な存在であるかどうかは、お前が決めればいいだけだ。なんでも、決められるんだ、それがー」
そのあとの声はますますうるさくなったバスの排気音でかき消された。狩猟犬は完全に覚醒し、いつでも獲物に飛びかかれる、その唸り声のようだ。少年はぐっと息を止め、途切れた言葉の尻尾をつかもうと頭の中で最後のフレーズを繰り返した。

なんでも、決められるんだ。なんでも、決められるんだ。なんでも。

それから乗降口がゲップのような音をたて閉まり、黒い犬のバスは、朝焼けのロスアンゼルスを東へ向けて出発した。


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