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オブジェ
2−2 早朝のバスターミナルには白い顔の人はひとりもいなかった。

早朝のバスターミナルには白い顔の人はひとりもいなかった。少年と同じ肌色の人たちか、赤い人、黒い人たちだった。よく見ればいろいろな赤や黒があることに気づく。赤と黒の中間の人たちもいる。赤や黒という表現では足りない複雑な色の人たちも多い。早朝だというのに、コンコースは長距離バスの乗客であふれかえっていた。しかしみな一様に寡黙だった。浮き足立っている団体旅行者はここにはいない。これから始まる窮屈で退屈な長旅に備え、覚悟を決めかねているようだ。ベンチに座り、目を瞑っていたり、本を読んでいたり、テイクアウトの朝食を頬張っていた。ベンチが足りなく座れない人たちは、地べたで同じようなことをしていた。珈琲がこぼれてたり、ベーグルの欠片が落ちてたりするが、服が汚れることは誰も気にしていない。そういう種類のナイーブな人たちはここにはいないからだ。この中ではサビ男の錆だらけの姿も違和感がなかった。誰もサビ男には注意を払わない。

「ここで待っておきな」とサビ男は一言残しどこかへ消えた。少年は仕方なく皆の真似をして、地べたに座り、リュックサックの中身を点検する。慌てて家を飛び出したから、なにが必要なのかわからなかった。長い旅になるのか、それとも昼飯までには帰れるのか。グランドキャニオンがどこにあるのかも知らなかった。だから部屋の机上に置いてあるものを適当に放り込んだ。先の丸まった鉛筆、ノート、動かない腕時計(6時で死んでいる)、バラバラになった携帯型ゲームの部品、鱒のかたちをしたペーパーウェイト、サクランボウのつる、靴下の片方、ミントの空容器、爪切り、図鑑など。どれも役には立ちそうになかった。
財布の中身を調べたら紙幣が三枚しかなかったが、なんとかなるさ、とサビ男は素っ気なく答えた。

理解できない言葉でアナウンスが流れ、ベンチの人々は半分くらいに減った。少年はまだ眠りの続きを彷徨っている。そしてぼんやりと考えるでもなく考える。そこには猿が1匹いて、こちらをじっと見ている。猿の目はビー玉のようだ。そこには何ら猿の感情を示唆する光は宿っていない。辺一面が霧で覆われていて、ここがどこなのかはわからない。少年は猿がなにかを教えてくれることを期待する。こいつは僕の秘密を知ってるのだ。だからこうしていつも意味深に僕の夢に登場するんだ。さあ、早く言えよ、君は僕の友人なんだろ。僕は早いとこ、元の世界に戻りたいんだ。しかし意に反して猿はくるりと向きを変え、薄明の奥へと去っていく。少年は目を凝らしてその姿を追うが、いつしか輪郭はぼやけて消える。世界はそのまま芝居の終わりのようにブラックアウトする。


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