続きは「おいらが鳥刺しだとは 年寄り、子供も知っている
女の子を捕える網があれば 捕えてくれるのだ
そしたら決して逃がさない そうすりゃ女は全部おいらのもの」
今頃何してるのだろう? 覚えてるのだろうか、僕のこと
indexロゴ百年後の博物館ロゴ
小説版「百年後の博物館」ロゴ


自己紹介しよう。うん。それは悪くない。木下です。どうもこんにちは。
言えるわけがない。まだあっちが名乗ってもないのに、なにいきなりこの人、自己紹介始めてんのよ。そうなるに決まってる。自己紹介はマズイ。焦るな。自己紹介は、されたらする。またこういう時に限っておならをしたくなる。これはなんなんでしょう。なんなんでしょう、と訊ねられても困るだろうけど、ホントなんなんでしょう。この状況で絶対に放屁はまずい。僕は中1のときに、好きな子の後ろでおならをしたことがある。音楽の授業中、みな体育座りで授業を受けてた。ひとりづつ先生のピアノの横で、モーツァルトの「おいらは鳥刺し」を歌うのだ。僕は出番の直前に緊張の余り、かなり大きなおならをした。目の前には好きな子が座ってて、もちろんびっくりして振り向いた。あれほどまでの反射神経はついぞ見たことがない。ほぼクラス全員振り向いた。緊張感のある静けさが覆った。困った先生から出た言葉は「静かにしなさい」だった。全員同時に下を向いた。これ以上静かにはできない。僕はひとりどうやって死のうかと考え続けた。しかし死ねずに出番がきて歌った。♪おいらは鳥刺しさまだ。いつも陽気だ、ほいさっさ

僕は日本家屋ののどかな庭園でそんなことを思い出していた。隣に座ってる女の子はもはや吉沢さんに見えてきた。好きだった子の名前は吉沢さんだった。吉沢さんは長い沈黙のあと、口を開いた。まるで平田オリザの戯曲のように、決められた長さの「間」が過ぎ去るのを待っていたようだ。とても丁寧にこちらを向いて、語り始める。これが演劇の舞台ならば彼女にスポットライトがあてられ、周りの風景は暗くなるのだが、ここは秋晴れの庭で、照明機材は吊っていない。ともかく彼女の少し長い独白が始まる。僕は、観客としてなのか共演者としてなのか、そのどちらにせよ、彼女の話を聞く。それは期待していたゆきずりのロマンスのようなものとはまるっきり違っていた。期待していた自分が情けないです。

「私は、ここで弟を待ってるんです」と、彼女は切り出した。
「この博物館が弟の最後に立ち寄った場所なんです。4年前になります。弟は突然失踪しました。私の家はこの近所ですが、こんな場所があるなんて知りもしませんでした。弟は、小学校の帰り道、この家の前で立ち止まり、1人で中に入ったそうです。それは近所の人が見かけています。それから、弟は帰ってこないのです。できることは全てしました。しかし何も起こりませんでした。今はもう待つしかないと思っています。許す限り、ここに通うようにしています。弟は必ずここに帰ってくるって、そう思うんです。今では、ここの職員だと思われることも多くて、自由にさせてもらっています。こうやってコーヒーをいれたりして。館長さんは優しい人で好きにしていいよと仰ってくださっています。でも弟のことは何も知らないって。それは本当だと思います。弟は、おそらく、インディアンに興味を持ったのだと思います」
インディアン? なんだこの女? なんでこの女は急に僕にこんなことを語り始めたんだ? ともかく僕はそういう一切の疑問を呑み込んで、さらに続きを聞くことにした。


←前のページへ │ ↑このページのTOPへ │ 次のページへ→
indexロゴ百年後の博物館ロゴ