
全ての部屋を巡り、順路に従って進むと、裏庭に出た。
縁側には横顔の美しい女性がひとり座っていた。僕は突然の人間の出現にびっくりたまげて、んあっ、ていう淫らな声を出してしまった。しかしあっちは何一つびっくりしていない。背筋を伸ばし、庭をただ眺めている。僕の方を振り向こうともしない。無視か、おい。
閲覧者なのか、それとも博物館の職員なのか。もしも職員ならば、客に対してこういう態度はない。よく見ると、例のうんこ猫が女性の足元で丸まって寝ている。なぜか無性に悔しくなった。
突然、彼女は僕の方を振り向き「何か飲みますか?」と聞いた。慌てた。彼女の顔が、正面からまっすぐこちらを向いていた。小振りで整った目鼻立ち。27、8だろうか。誰かに似てるが思い出せない。一昔前の野島伸司のドラマによく出ていた女優だ。誰だっけ? ん、何だっけ? そうだ「何か飲みますか?」だ。「アイスコーヒーで」と答えた。
そして彼女は立ち上がり、家の奥へと入っていた。僕は一人取り残された。
ここは喫茶店なのか? やつは店員か? 店員、縁側に座ってるか?
僕はとりあえず縁側に腰を下ろし、次になにが起こるのかをそわそわしながら待った。庭には小さな池があり、立派な松の木が一本植えられていた。退屈なので、寝ているうんこ猫を爪先で軽くつんつん蹴ったが、うんともすんとも言わなかった。次に口元をぐりぐり押したら、歯茎が現れて面白い顔になった。
「サビ猫です」と声がした。いつのまにか背後にはアイスコーヒーを持った彼女がいた。しまった、ぐりぐりしてるところを見られた。「サビ猫というんです。種類として。正式名称は忘れましたが、突然変異種だそうです。だからメスしかいません。私はそのままサビ猫と呼んでいます。このあたりには他にサビ猫はいないようですし、問題ありませんよね」
僕はアイスコーヒーをすすりながら、彼女の横顔をじっと眺めた。誰に喋ってるのか、いまいち確信が持てなかった。でも今ここには僕しかいない。はい、とだけ返事した。思ったよりも力強い声になってしまって、自分でも驚いたし恥ずかしかった。
サビ猫は石のように眠ってしまっている。彼女は庭をぼんやり眺めている。日だまりが彼女と猫を包む。遠くで工場のサイレン音が聞こえる。ぎこちない沈黙が漂う。
もちろん僕はずっと緊張している。こういう場合、相手が自分のタイプかどうかはあまり問題ではなく、問題は見知らぬ土地で見知らぬ男女が、ひょんなことから2人きりになってるこのシチュエーションだ。何もないのはわかってる。別に、そんな、あれだし、僕には彼女もいるし。そういうのないし。しかしそんなことを考えてる頭のもう半分では、自分の今日の服装のイマイチさをひどく呪ってたり、このあとの予定が空いてるかどうか思い出そうとしたり、そんなことを考えてる。
沈黙は続き、コーヒーは苦い。このままいくと、飲み切ってしまう。さすがにもう一杯というわけにはいかない。時間オーバーで試合終了だ。
